2012年12月20日木曜日

自助の精神とPPP


このブログに「勉強会の風景(続く)」という記事がある。
全然続いていないじゃないか、と言われそうだけれど、その通りです。すいません。

研究会と模擬国連会議の大会の役割についての一考察を書くつもりだったんです……。


ただ、少し状況が変わりまして。
今日をもって日本模擬国連(JMUN)を離脱して、もぎこっかーを辞めることにしました。

もぎこっかーを辞めてもMUNerは辞めない、なんてわけのわからんこと言ってますが、自分の中で一つの区切りをつけることは間違いないです。

そこで考えました。

研究会と大会の話は、一般peopleになって会議を開いたときに、改めて喋ればいいかな、って。


もぎこっかーを辞めても、2月には会議開くんです。ディレクやるんです。不思議ですよね(笑)
お前それはおかしいやろ、って言われるかもしれませんが、まぁ本人がこう言ってるんでそう言わせてやってください。




で、もぎこっかーを辞める今日に何を書くか。

だいたい決まってました。

「自助の精神とPPP」が今回のタイトルです。


PPPといえば汚染者負担の原則。なんか一部界隈ではPPP="Position and Policy Paper"らしいですけど、ここでは違います。

Practice, Practice, and Practiceです。



とりあえず今日皆さんにお伝えしたいのはこれだけなので、後はこの言葉に意味づけしていくだけになります。




1. ガラパゴス模擬国連



さて、自分が発した言葉の中で、モギコク界隈で最も知られているのは、たぶん

「ガラパゴス模擬国連」

じゃないのかな、って思うんです。

今振り返っても、たぶん自分がモギコクヒストリーに何らかの影響与えたか、って言われたら、
この言葉の精神にのみ自分の意義が認められるんじゃないかな、って思ってます。


この言葉の意味は、「日本の模擬国連、とりわけ日本模擬国連の会議はやたら難しい。
どう難しいって、知ってる人しか楽しめないような構造になっている。
国際的な潮流とも違うし、かといって効率的とはとても思えないような仕組み、慣習ばっかりだ。
まるで鎖国していて、独自の進化を遂げたガラパゴス諸島の動物みたい」ってことです。


よーするに、今のモギコクは時代遅れって指摘したんです。

ガラパゴスにはガラパゴスなりの魅力があるのかもしれませんけど、私に言わせればWPとかP/I(Point of Information)ってのは絶対悪です。
あんなん制度的に存在不可能ですよ。

今日ここでずっとその話してもいいんですが、今回の本筋はそこじゃありません。


この「ガラパゴス模擬国連」という言葉を発するまでの覚悟。そこに至る経緯。そっちが大事です。




この言葉は、アンチ・ガラパゴス=ウィルスとなる独自プロシージャーを運用しないと、大会で発言してないでしょう。
この言葉は、自分の議題構想を理解して現実の議場に持ち込んだ議長の助けがなかったら、出現していないでしょう。
この言葉は、自分がディレクをやっていないと、出現していないでしょう。
この言葉は、自分をディレクに誘った大会DGがいないと、出現していないでしょう。
この言葉は、自分が海外の模擬国連に出てないと、出現していないでしょう。
……


延々と条件が浮かびます。

これらの条件、少し自惚れますけど、自分の「信念」がなかったら、繋がることがなかったと思います。

海外の模擬国連に出席する機会をたまたま手に入れて、そこで発見した問題意識。
その問題意識を実際に形したのは、自分の信念に他なりません。
たくさんの助けをもらいました。たくさんの力をもらいました。
でも、信念がなかったら、関西大会のディレクあいさつで「ガラパゴス模擬国連」って言葉が生まれることはなかったでしょうね。


こんなことを言うのは、自分のこれまでの経験があるからです。





2. 教訓をくれた「失敗」たち



プロシージャーを変更して、模擬国連の統一プロシージャー作り。
関西圏でシステマティックな学習機会を設けるための、1年間の各会議の工程表作り。


いろいろやりたいことはありました。この2つは、その中でも自分自身で実際にやってみよう、と試みたものです。

両方とも失敗しました。
その理由はいろいろあるんですけど、やっぱり自分でコストを払うことを躊躇したからかな、って思いますね。そこまで言わなくても、コストに対するかなりのリターンを要求していた。

2つとも、企画書を書いて、実際に諮問させるところまではいきました。
ただ、そこで反対されたときに、それでも「俺はやるんだ。ついてこい!」ってまで言えるほどの迫力は無かったんですよね。

振り返れば、この2つ、もし企画段階で賛成されていたとしても、うまくいってなかったんじゃないのかなぁ。


「俺はやるんだ。ついてこい!」ってまで言えるほどの迫力が必要な理由は、結構明白です。



今読んでいるもぎこっかーの人は、運営畑、研究畑、デリ畑のどのカテゴリーに属していますか?

自分は多分研究畑なんです。

で、もぎこくの研究会執行部とか大会運営って、運営畑と研究畑が混ざるじゃないですか。

基本的には研究畑の人がやりたい議題とか、研究畑の人が持っている問題意識を解決する企画が実行されるんですけど、
これ、運営畑の人にどうしてもウケが悪くてね。ウケが悪いって、印象が悪いわけじゃありません。そうじゃなくて、熱を共有することがなかなか難しいってこと。

やっぱ、運営畑の人って研究なんてある意味どうでもいいんですよ。笑

運営の人は、議題の研究とかプロシージャーとかそんなことより、リーダーシップとかフレンドリーシップとか、
もしくは人間関係の発展・維持のほうを重視していると思います。別に非難してるわけじゃないですよ。でも、研究畑の人間とはちょいと思考が違うんじゃないかな。

時たま、研究畑が力を入れたいところ、運営畑からは「どーでもいいじゃん」って思われるところが出てくるんですね。
で、これが結構両者の中で大きな違いになってくる。もしかしたら、互いの人間関係に悪影響を及ぼすかもしれない。

そこで、「俺は何と言われてもやる」って言えますか?

多分、ここでそう言えないんだったら、友情とか場の空気とか、そういうのに飲まれて自分のやりたいことをダイレクトに実現できないんですよね。



運営畑の人も一緒だと思います。

研究畑の人間は、はっきり言って変人が多い。(変人じゃないとやってらんないことが多いからですね)

そういう人を運営に入れていると、場の空気を維持するために、意見を切り捨てることが必要になったり、
もしくは反対論を押し切ってでも企画者のおぜん立てをする必要が出てくる。

ここで、自分のポリシーを貫けるかどうか、が問われてくるでしょうね。

貫けないなら、1年間の運営はなぁなぁで終わり。「頑張ったね」の声はもらえると思います。けど、なんか虚しくないですか。それは。
貫けたなら、少し衝突することはあるかもしれないけれど、何か残るんじゃないですかね。


勿論、柔軟性を失ってはいけません。けれど、研究も運営も、自分の「やりたいこと」「ポリシー」そういうものがあるんだったら、実現まで走りきらなきゃいけません。たぶん、助けは勝手にやってきます。


統一プロシージャーの策定とか、会議の調整(研究調整部門って呼んでました)とかは、ノンストップで走りきれんかったんですね。ここらで諦めざるをえんか、そんな思いがあった。だから反対論が出たときに、自分の意見を押し通せなかったんですね。有体に言えば、失敗(リスク)を恐れて失敗した(やらなかった)。



じゃあ関西大会はどうやったか、ってことなんですけど、これは自分の中では結構うまく覚悟を持てた。途中止まりかけたときはあったんですよ。でも、背中を押してくれる声があって、それで再始動できるくらいには覚悟があったんですね。だから最終的に、かなり思い切った独自プロシージャーを作れたと思っています。野心的な準備期間もできました。宇宙会議で46人って、なかなか考えられないですね。

割と賭けでした。エッセイ式のPosition Paperなんていうのは、下手したら誰もまともに書いてくれないかもしれないわけです。書いてくれなかったら、事前交渉というのは禁止してましたから、当日の議論にしか期待する余地が無くなる。当日の議論なんて、下準備が無ければ薄っぺらいものになるでしょうから、参加者も自分(会議監督)自身もつまんないものになったでしょうね。それが実際は、46人中44人がペーパーを提出した。

こんな賭けができたのは、ひとえに意志があったからです。失敗してたらどうする、って反論はありますよ。まぁその時はその時で、たぶん来年あたりに全日で再チャレンジしてるんでしょうね。それはIfの世界です。






3. 意志を実行するということ



「俺は何と言われてもやる」って言葉のなかで、一番大事な部分は「やる」ことですね。

Practice.

これが意外と難しい。

他人の協力があればそんなに難しくはないんですけど、日本の模擬国連って、そこらへんの共助関係がうまくできてないんですよね。残念ながら。足の引っ張り合いが多い。

先ほど運営畑と研究畑の違いを話しましたが、背景にはそういった事情があります。それから、多くの人が「俺は何と言われてもやる」っていう状態になると、企画に出る参加者の取り合いになりますから、競争原理が働く。日本のもぎこっかーは、この競争を嫌うんですね。和をもって尊しとなす。そんな意識があるのかもしれませんが、とりあえず今ある組織で対応しようとする。共倒れは嫌なんですよ。新しい企画をやるくらいなら、今ある企画をレベルアップさせた方がいい。分からんでもないです。

とりあえず今ある組織で頑張ろうとするので、そうなると運営畑の縦の繋がりが生まれます。前年度やその前の年の同じ役職の人に、意見を聞くでしょう? あれです。縦の繋がりは結構保守的で、当然のことですが、新年度の運営畑は前年度の運営を継承しようとします。そうすると、革新的な意見はなかなか通らんくなる。これはいいことでもあるんですよ。新しいことに挑戦することはやっぱりリスキーですし、失敗すると集団にかかるダメージはでかい。だから、大きな組織になればなるほど、だんだん保守的になるはずです。
でも、何かにチャレンジする個人にとっては障壁ですわな。そういう人は、この障壁をどうするか、が大事です。




① 障壁を飛び越える列車に乗る


これがベストな解ですね。ディレクで実現できそうなことだったら、大会のディレクをやる。(大会という列車に乗る)その上で、少し無茶をやらかす。ある程度大会の方針に従っておいて、譲れない線は妥協しない。少し怒られるかもしれませんけど、人を利用する上手いやり手ですね。



② 障壁を迂回する


①ができないとき、どうするかが大事です。
つまり、「ディレクをやりたい」と言ったときに、君の言ってることは相当に無理があるからやめとけ、って言われたときですね。

これ言われるってことは、企画してるものが相当リスキーなものってことなんで、企画の再精査をやることをおススメしますけど、単純に人間関係で障壁を飛び越える列車に乗る機会を失うこともあるんですよ。そういう人、いますよ。

「俺は何と言われてもやる」ですから、やらなければいけません。男児たるもの、退くわけにはいかんでしょう。(別に老若男女関係ないですけど)

お利口なやり方ではないですけど、こういうときは、組織から離脱する、という方法があります。

自分もやったことあるんです。(現在進行形でもやってます)


研究会の会議って、まぁいろいろ面倒なものでして、「今ある会議」に人を集中させたいがために、なるべく新規の会議を開かせないようにするんですよ。
いろんな名目を使ってね。

実際問題、1ヶ月に1つ以上の会議は参加者にとってかなりの負担ですから、この方針は合ってるといえば合ってる。でも、特例っていろいろあるわけで、そういうところを突けば自分の意思を実現させられるかもしれません。


こういうときに、「日本模擬国連の会議じゃありませーん」って言って、会議をやることがあるんですね。
(というか、私がやってます)

今年は全日本大会と応募期間が被る私的な会議を開いてますし、去年は全日の一週間前に会議をやってます。
当然怒られますし、全日に影響しないように配慮はします。

でも、関西にいたら全日に出ない人は山ほどいるわけで、そういう人で出ないと決めきってる人は何があっても出ないわけです。
その人たちからしたら、全日前後1ヶ月ほどに会議をやれない、っていう縛りは不条理なんですよね。

だから、去年はこの縛りがない状態にするために、少なくとも名目上は「日本模擬国連」の外の会議にしたんです。

今年も何か言われないために外の会議にしています。

企画を妨害する組織の壁を迂回する方法はあるわけで、問題はそれを実行するだけの意思があるかでしょう。






4. まとめ――Practice, Practice, and Practice



さて、正直今日は(も)筆が乱れています。あっちへいったり、こっちへいったり、ですが、ここまでのことを無理やりまとめてみましょう。

まず、自分が「やりたいこと」自分の「ポリシー」を貫くこと、そのための信念が必要ということを言いました。
そして、その信念を「俺は何と言われてもやる」と言って、実際に形にすることが大事と言いました。



要は、「やる」ことが大事。


周りをうまく動かす、とか、他人の助けを巧く借りて、とか。そういった予防線はいけないんですね。
自分が率先してやれるかどうか。企画の生命線はその問いに存在してます。


計画も大事ですよ。
plan-do-check-act cycleっていう、いわゆるPDCAサイクルとかを使って、上手く計画→実行することも時には大事かもしれません。


でも、学生時代っていう時間が有り余っている環境では、成功の是非は単純に"do"と"act"にあると思います。
やるかやらないか。実に単純ですね。

(※ PDCAの批判してるわけじゃありません)


模擬国連でプレゼンテーションを学ぶ機会がありましたが、その時の講師の方が仰ったことには、プレゼンテーションは体得するもので、ひたすら「やる」こと、つまり"Practice, practice, and practice"――とにかくpracticeが大事なんだ。そういうことでした。

精神論に聞こえると思いますが、的を射ていると思っています。


今回のブログ記事では、ちょっと意味は変わってしまうんですけど……このPPPを大事にしたいです。

人を動かしたり、説得したり、そんなことの前にまずpractice。
協力してくれるかどうか、迷う前にまずpractice。
Practice, Practice, and Practice.


Practiceの一歩が踏み出せないなら、きっとその企画は価値が無いか、魅力が無いかのどちらかです。



私じゃなくて、一歩を踏み出せないあなた自身の行動が、そう言ってるんですよ。きっと、ね。



http://12thkmuncdisec.blogspot.jp/2012/12/blog-post_16.htmlで書きましたが、
今の日本模擬国連は異常です。来年の運営代表がまだ未決定ですから。

このような時代では、事務局や代表者といった、上の階層からの「助け」はあまり期待できないんじゃないか、と思いますね。
上の階層の方々、現役を並行されているかもしれませんけれど、やっぱり彼らには彼らなりの優先順位があって、現場でデリデリしながら"Practice"する人たちの優先順位と必ずしも一致するとは思えんのです。

なんかの映画でありませんでしたっけ。事件は会議室で起きてるんじゃない、とか叫ぶやつ。
運営は会議室で起きてて、企画は現場で起きてるんじゃないかな。

そして、残念ながら上の階層には上の階層に山ほど仕事が残っているし、宿題が積み重なっています。いやーな縄張り意識に基づく官僚主義的なところも、どうしても存在すると思います。

だから、これからはどの研究会も個人も「自助」を目指さんといかんのです。自分で"Practice"を完遂する意思をもたないと。
じゃないと、期待してた助けがなくて、思わぬところから崩れていくんじゃないかな。





自助の"Practice"スタイル、私は現在の駒場研究会の「ケンブリッジ国際大会」出場とかに萌芽がみられると思ってます。

期待したい企画です。これからはこんな企画が日本の模擬国連の未来を切り開いていくんじゃないかなぁ。

そういう企画が増えれば、ガラパゴス模擬国連もなんとかなる。そう信じます。













ここまで偉そうなこと書いてきましたが、日本模擬国連にはお世話になりっぱなしで、貢献できたかと言われると怪しいです。
運営畑には散々なこと言ってますけど、彼らなしには自分はいませんし、感謝することでいっぱいです。

不遜な言い回しをしてます。でも、約3年間で学んだことの大事なエキスだと思います。これを書くことで、少しでもJMUNへの貢献になっていれば幸いです。



See you, JMUN.
マヤ歴が終わっても、日本模擬国連は永遠に。


2012. 12.20

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