2012年12月16日日曜日

大事件に思うこと。


自民党圧勝の衆院選模様が伝えられる中、ひっそりと今週末に、模擬国連業界でも次の代表を決める運動が行われていた。



ところが、今年は事件が起きたようだ。

昨年からの改革運動を受け、関東事務局と分離されることが決まった「JMUN Office(仮称?)」。
そして従来の関東事務局の主要役職。


これらのすべての役職が、空席となったと聞く。



これは前代未聞の大事件ではないのか。

日本模擬国連設立から数年しか経っていないけれど、その前団体も含めて、これまでこういったことがあったことはないんじゃないだろうか。

私は関西の人間なので、関東でどのような運営が行われ、どのように引継ぎが行われたのかは詳しくは知らない。

けれども、一会員としてこの事態には非常に強い危機感を覚えているので、筆をとっている次第だ。




おそらく、関東事務局がこれまで日本模擬国連の中枢業務を担ってきた歴史を考えるに、この役職空席の事態が長引けば長引くほど、日本模擬国連にとっては損な状況が続く。

ひとまず「延期」なのか「暫定措置」なのかは分からないが、現運営陣には速やかに何らかの措置を求めたい。


私としては、現運営陣はどうしても就職活動など様々な行事があるため、現運営陣をそのままそっくり事務局として任期を延長する「延期」は適していないと考えている。

そのため、何らかの暫定措置が必要なわけであるが、関東研究会/支部会長のいずれか誰かが事務局長暫定代理を務めたり、関東事務局不在のまま関西事務局がJMUN Officeとして存在したり、いくつかの方策があるのだろうと思っている。

どのような方策が取られるのか、注視したい。





さて、運営側の視点はさておき、このような状況は何故起き、そしてどうすれば解決できるのかを「マンパワー」に着目して、少し考えてみた。




現在の模擬国連は「人間不足」と言われている。
関西総会でも数回にわたり言及されたし、関東のこの現状を見れば、この言い様は理解できる。

だが、本当に人数が少ないというよりは、マンパワーの減少というのが正確な言い回しのように感じる。

役職に人が集まらない。
集まった役職も適切に運用されない。

こんなところじゃないだろうか。

昨日の日本模擬国連ホームページがハッキングされた事件は、ホームページの管理という最低限の運営が行えているのかどうか非常に不安な点を私たちに示してくれた。

集団として一つの構成要素(日本模擬国連)を成立させるのがよいのかどうかが問われるレベルまで、運営のマンパワーは低下しているように私は感じている。



このマンパワーの減少だが、私は個人の能力が低いから起きた現象とは感じていない。

そうではなくて、個人の能力を阻害する何らかの問題があるから起きた現象だと思っている。

その問題とは、意志決定過程の曖昧さだ。




いったい誰が何を決裁して、何を実行するのか、今の日本模擬国連はよく分かっていないのではないか。

研究会、支部、事務局、日本模擬国連、事業……さまざまな集団があり、その中にさまざまな役職がある。「総会」で決めるのか、「代表者会合」で決めるのか、さまざまな意志決定プロセスの節があるが、それらの役割もよく分からない。

だから、自分がどういう役割も担っていて、何をしなければならず、また何ができるのか、正直いろんな「代表」は分かっていないんじゃないだろうか。


その元凶は何か。


私は、それは「代表」選出の際の甘さの中にあると思っている。



日本の選挙と違って、サークルである私たちは、別に民主主義を採用する必要はない。


たとえば、てきとうに誰か会員1人がリーダーに非民主的方法で選ばれたとする。優れたリーダーがいれば、そのリーダーが指し示す方向に向かっていけばよい、と考えることもできる。
(むろん、暴走には注意したいけど)

けれど、リーダーが暴走する人間だったり、仕事をろくにしないぐーたら人間だったりすると、ついてくる人がいなくなる。サークルなので、ついてこない人は罰せられないから、日本模擬国連は衰退する。

このように非民主的方法は不安定だから、私たちは一応、サークルの代表を民主的に選出しているのだろう。


けれど、民主主義的な選出プロセスは、選出される側にとっては別の大きな心理効果をもたらすと思う。


リーダーが決定されると、そのリーダーは普通は様々な権限を持つことになる。

ところが、現状ではそのリーダーを決める際に、リーダーがどれだけの権限を持っているのか明確に指定されていない。
これでは本当ならば会員は信任することもできないだろう。(後述するように、来年度の運営が人質なので、会員は信任せざるを得ない)

その場でいったんは信任するのだけれども、リーダーの権限に正当性が無いから、
反対論が出てきたときに、リーダーは尻込みすることになる可能性がある。
(尻込みしなくても、そこで突っ走ると暴走になるだろう)

リーダーが「自分は選ばれたのだ」と自覚し、一歩上の立場から団体を俯瞰し、指示を下すことができない。そうなってはいまいか。

もちろん、さまざまな人の意見を聞き、ボトムアップとしてそれらを集約していくことも可能ではある。けれど、現実問題として日本模擬国連全員の意見をまとめあげることなど、できはしないだろう。

反対あれども実行する人間が、必ず必要なのだ。そうしないと、さまざまな役職に就く人間ののマンパワーを引き出す人間がいないし、リーダー自身のマンパワーも低下してしまう。

実行する人を生むには、自覚するためのプロセスが絶対不可欠だ。
今の総会での承認は、そのプロセスになっていない。私はそう思う。




また、リーダーが選挙ではなく承認される、という仕組みになっているのも大問題だ。

ここ数年の事務局長選出プロセスは、関東関西ともに一部の会員の密室で一名の候補が選ばれ、
その候補が総会で承認を受ける、というものになっている。


ところが、これでは「次世代の運営をつぶす」か「信任」するか、の2選択肢しかなく、
来年度の運営を人質にとって承認を迫っているようなものではないか。

これは総会に来る会員にとっても、リーダーにとっても不健全な事態だと考える。

事務局の役職を決める前に、まず事務局に入りたい人は、全員が事務局長候補として立候補してはどうか。
そうすれば、2人以上の選挙によって、事務局でやりたいことも明確に会員に伝わるだろうし、
選挙の結果で実行することも「総会会員の同意」が得られるのだから、リーダーも自信を持って動けるようになるんじゃないだろうか。



今回、選ばれる人間の自覚を生み出すプロセスを重視してここまでブログを書いてみた。

反対あれども実行する、そんな俯瞰的リーダーが生まれることで、さまざまな役職の能力が引き出され、総合的な組織としてのマンパワーが増大すると思っているからだ。

確かに、今は役職不在で来年の道筋が見えにくい困難な状況にある。

だけど、そんな今だからこそ……

新しい役職を安易に人に押し付けるリクルートをやったり、とりあえず誰もやらないなら自分がやります、といった立候補をやったりするのではなく、しっかりとした「選ばれ方」で選出者・代表者としての自覚を生む。

そして、その際に「代表者」とはどんな任務・権限を持つのかをしっかり確認する。

これらを丁寧に行うことが、大事なのではないか。

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